読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

赤い色素はすぐ抜ける

髪を赤くしたいのにブリーチをしたくないという矛盾に悩む量産型サブカル女子大生です

別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます

 

 

「別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」

 

川端康成の言葉だそうだ。

 

別れる男に、かどうかは置いておいて、花の名を自分を思い出す縁にさせるという発想はとても甘くて切なくてメンヘラちっくで素敵だと思う。

 

私は花が好きだ。

部屋に花を飾るような女になりたい。

そんな余裕なんてどこにもないし、好きだった人にもらった観葉植物を1週間でだめにした私にはそれは到底無理なことなのだけれど。

 

花が好きな理由はたぶん2つある。

 

ひとつは儚さで、たぶんこれは、イルミネーションとかそういうものが好きであることと同じ原理なのだと思う。どんなに綺麗に咲いても、少し経てば枯れて美しくなくなってしまう。不変で美しいものはそれはそれでいいのだけれど、いつか失われてしまうと事前にわかっていると余計に美しく愛おしく思えて、その切なさ込みで花は綺麗なのだと思う。儚さに惹かれるのは、人間もいつかは死ぬからこそなのかもしれない。そんな普遍的なことではなくて、私の個人的な好みに過ぎないのかもしれないけれど。

 

もうひとつは、花には物語が付加されやすいということ。17世紀のトルコにあった、花に思いを託して恋人に贈る風習が花言葉の起源らしい(教養がないので今ググった)。誰が最初に始めたのかは知らないけれど、花というものに思いを込めようという発想は適度に甘く適度に切なく、そして適度にメンヘラな感じもあり、私はとても好きだ。恋人に、でなくても、お祝いごと(開店祝いみたいなのも含む)、お見舞い、などなど、様々なところで花は贈り物として重宝される。だからこそ、花に対しては誰もが何かしらの思い出を持っているのではないだろうか。

 

 

冒頭の台詞に話を戻す。

 

「別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」

 

私ならどの花の名前を教えるだろう。

何を見て、自分を思い出して欲しいだろう。

 

 

たぶん、たぶんだけど、

ヒガンバナだと思う。

 

 

私のいちばん好きな花。

 

ヒガンバナリコリスともいう。

lycoris、と綴る。

私が諸々のIDにlycという文字列を入れているのはこの略のつもりでやっていて、私はそれくらいこの花が好きだ。

 

ヒガンバナには不吉なイメージがある、と思う。

名前に彼岸という言葉が入っているところからして不吉だし、墓地によく咲いているあたりも死者を連想させる。

先ほど言ったリコリス以外だと、地獄花だとか死人花などとも呼ばれるらしい。

 

不憫なこと極まりない、と思いませんか。

 

咲いてるだけなのにそんなに言われて可哀想に、と、感情がたぶんないであろう花に対して妙な同情心を抱いてしまう。

まぁ、球根に毒があったりもするらしいので多少は仕方ないのかもしれないけれど。

 

だけど、ヒガンバナという花は、何の先入観も持たずに見たらとてもとても鮮やかで美しい花だと思う。真赤が目に眩しいくらいだし、花の形もなかなか珍しい。

 

 

花言葉には、

 

あきらめ、とか、悲しい思い出、とか

 

なるほどヒガンバナっぽいな、と思うものもあれば、

 

情熱

 

といった、鮮やかさにフォーカスした(のか?)ものもあったりする。

 

だけど何より好きなのは、

 

思うはあなた一人

また会う日を楽しみに

 

という花言葉

 

 

不吉だと忌み嫌われる鮮やかな赤い花の花言葉としてしっくり来ないけど、こんな花が持つからこそ、甘い花言葉が余計に際立つような気がして、そして、きっと「あなた」には永遠に会えないような、もう手が届かない何処かに行ってしまっているような気がして、こんなの全部妄想なわけですが、ヒガンバナを見るたびにはっとして、好きだな、と思う。

 

 

恋愛だろうとなんだろうと、袂を分かつひとにはヒガンバナの話をしようと思う。

 

思い出して、なんて言わない。

 

また会えるとか、また笑いあえるなんて思っていないけれど、

 

いつか、いつか、また会う日を楽しみに。

 

 

そんな思いを込めて。

 

 

 

帰結がメンヘラっぽい記事を書いてしまった。

 

新たなブログを始めて最初の記事がこれでは先が思いやられる。

 

情緒に溺れないブログにしたい。

 

できるかな。